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ものづくり道場  2018年

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2018/2/1「ハイテック精工の歴史」

テーマ ハイテック精工の歴史
講師 南春夫

2018年になり初代から2代目と移りハイテック精工55年の歴史について知らない社員も増えてきました。
そこで1964年創業、1971年入社の南さんにいろいろと教えていただきました。

1964年創業「超音波冶金株式会社」

東京オリンピック開催の1964年(昭和39年)12月「超音波冶金株式会社」は、千葉市稲毛町にたった6名によって起業しました。自作の炉を並べて部署や担当もなく、毎日ひたすら熱処理と配達に明け暮れました。もちろん事務所は小屋、ここが原点でした。

1967年に機械事業立ち上げのために工場を拡張

自動化関連機器メーカーとして草分け的存在になり、従業員は23名に。熱処理業務をこなしながら早朝から夜遅くまで試行錯誤しながらの毎日で充実していました。そんな毎日のコミュニケーションはランチタイム。取引先の要望や現場の情報から新製品のアイディアも生まれました。どんなに会社や環境が進化しても、現場のヒントやアイディアは小さな会社には財産でした。

社員旅行は大切な思い出でした

ゴルフ組と観光組に分かれる国内旅行からまだ珍しかった海外旅行へといろいろな旅に連れて行ってもらいました。近年その習慣がなくなってきたというのは残念です。

千葉市千種町に念願の自社工場

いよいよ借地から自社工場へと移転しました。熱処理と自動化が同じ敷地で操業することになりました。設備も新たに効率も良く、仕事も右肩上がりへ。大手工場は地方に多いので出張が多くなりました。先方との食事会や同僚との飲みは大切な情報となり次の仕事へ活かすことができました。

自動化機器分野のエンジニア集団としての地位を確立

自動車産業の発展とともに自動車関連分野での実績を上げ、それとともに極小精密部品、などの熱処理加工の受注も伸びました。

クリーン工場完成

製造業が成長し大企業が大規模FA事業に参入する中小規模なハイテック精工は苦戦を強いられましたが、小規模の小回りの良さと技術者のスキルで生き抜いてきました。いま振り返っても自動化の初期から携わり現場に鍛えられてきたのだと実感します。机上の空論だけではとても太刀打ちできなかったと思います。

次々とヒット製品を生み出す

インスタントカメラ「写ルンです」巻取り装置、FDの研磨装置など大手メーカからの受注でフル回転の日々でした。その後立ち上がりコンベヤをはじめとしたロングセラーとなるコンベヤが定着し実績を積上げ、官公庁の仕事も受けました。

教育分野の進出をきっかけにメカトロエンジニア集団に

産業ロボットを使ってシステムを構築するメカトロニクスメーカへと進化、現在のハイテック精工の技術力を支えています。

リーマンショックでは分野を絞り込む

コンテナストッカ、コンテナチェンジャ、トレーチェンジャは多くの業種に自在に設計できる汎用性を持つロングセラーです。

ロボットシステムインテグレータとして

大手工作機械、部品メーカと取引をすることで厳しい条件をクリアするスキルをアップしていきました。

小規模を活かして進化するハイテック精工

手書き伝票、黒電話からFAXやパソコン、さらにデジタルへと進化した現在、会話よりもSNSなどメディアが電子化し仕事のコミュニケーションの形態が変わりました。稲毛町の頃は先輩との距離が近く何でも聞けて教えてもらいましたが、いまは距離が遠い気がします。また次工程がスムーズにいくための作業は効率をよくするだけでなく、思いやりでもあることをもっと実感してほしいです。そして仲間意識という小規模の強味を継承しながら、よりスペシャリストへ進化していければと思います、と南さんの話でした。

現在は設計、製造、据付も仕事内容や手順が多く異なります。すべてヒトだけでこなしていた時代から現在まで様々な進化や環境の変化に順応し、55年ヒトの力によって継続するということは素晴らしいことです。南さんの講義は大変重みのある内容でした。

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